ピサのレオナルド・フィボナッチの略歴

「エリオットの波動入門」ですが、波動のルールやガイドラインまでは読み終えました。しかしまだまだ内容は消化しきれていないので、読み終えた部分についても、今後も何度も何度も読み返さないといけないと思っています。

そして遂に、ここからはフィボナッチです。ここまでで度々言及されている文言から察するに、「波動原理」と「フィボナッチ」はセットのようなものだと思っています。波動原理だけを勉強するとか、フィボナッチだけを勉強するとかでは不十分で、両方とも勉強することで相乗効果が得られるものだと思っています。1+1で2以上のものになるのではないでしょうか。

フィボナッチは波動原理以上にオカルト的なのかもしれませんが、波動原理は利用していないがフィボナッチは利用しているというトレーダーは結構いるように思います。ちなみに私は霊感とかは基本信じないタイプなので、全面的に信用するつもりはありませんし、話半分くらいに聞いておくつもりです。

フィボナッチ級数

フィボナッチが波動原理の基礎

フィボナッチが波動原理の基礎

  • 13世紀の数学者、ピサの「レオナルド・フィボナッチ」によって発見(実際には再発見)された。
  • 厳密に言うと、これは「単なる数字」ではなく「数列」である。
  • エリオットが「自然の法則」を著したとき、彼はそのなかでフィボナッチ級数が波動原理の数学的基礎になったと説明している。

そうなのです。波動原理とフィボナッチを分けて考える必要はありませんが、時間的都合などでどちらかを優先させなければならないとすれば、フィボナッチを選択すべきでしょう。波動原理の大元はフィボナッチなのですから。

波動原理の理屈は、フィボナッチに持っていけば良いのです。波動原理の根幹である、所謂「5波で上げて3波で下げる8波動」もすべてフィボナッチ数です。フィボナッチは利用しているが波動原理は利用していないというトレーダーがいれば、波動原理を勉強しないのはもったいないと思いますね。

ピサのレオナルド・フィボナッチ

暗黒時代

  • 西暦476年のローマ帝国滅亡から約1000年の中世の初めまで。
  • ヨーロッパでは全ての文化が消滅した。
  • 東洋まで広がらなかったため、インドとアラビアで数学と哲学が大きく開花した。
  • 地中海は文化の河として発展し、インドとアラビアから商業や数学などが流入してきた。

都市国家ピサ

  • 中世の初期、ピサは堅固な城壁で守られた都市国家となり、商業革命を反映して、繁栄した商業の中心地となった。
  • 政治は今日の基準に照らしても、うまく運営されていた。
  • フィボナッチはその検査官の一人だった。

レオナルド・フィボナッチ

  • 優れた商人、また市の役人の息子として、1170~1180年に生まれた。
  • 既に学生時代に、商売用の計算機としてヨーロッパで広く使われていた算盤の使い方を含め、税関や当時の商売の実務にも精通していた。
  • 母国語はイタリア語だったが、フランス語、ギリシャ語、更にはラテン語も含む数カ国語を学び、流ちょうに話すことができた。
  • 父の仕事のために、度々地中海周辺を訪れるようになった。
  • エジプトの旅を終えたあと、「算盤の書」を出版した。

算盤の書(Liber Abaci)

  • 世紀の偉大な数学的発見の一つ、所謂記数法の最初の数字として0を置く10進法をヨーロッパに紹介することになった。
  • 0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9」という親しみのある記号を含むこの方式は、現在世界中で使用されているヒンズー・アラビア方式として知られている。
  • その基本数字の価値だけでなく、その列の位置によっても変わってくる(例えば、58と85は異なる価値を持っている)。
  • フィボナッチは、算盤の基本原理について述べたあと、旅行中にもこの新しい計算法を使い始めた。
  • 易しい計算法であるこの新しい方式は、最終的にヨーロッパに伝えられた。
  • 従来のローマ数字は、次第にアラビア数字の体系に取って代わられていった。
  • 700年以上も前にローマが滅亡して以来、数学分野における最初の偉業であった。

ローマ数字

例えばアラビア数字における「1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10」をそれぞれ「Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅴ,Ⅵ,Ⅶ,Ⅷ,Ⅸ,Ⅹ」のように並べて表現する。I, V, X, L, C, D, M はそれぞれ 1, 5, 10, 50, 100, 500, 1000 を表す。「i, v, x」などと小文字で書くこともある。
ローマ数字のことをギリシャ数字と呼ぶ例が見られるが、これは誤りである。

引用元:ローマ数字|ウィキペディア

時代の人

  • フリードリヒ2世(神聖ローマ帝国の皇帝、シシリーとエルサレムの王、最も高貴な2つの家柄の子孫、当時の最も強大な君主)が、わざわざピサを訪れて、フィボナッチを探し出したほどであった。
  • フィボナッチとフリードリヒ2世は、1225年に出会った。
  • フィボナッチは皇帝が出した問題を明確に解いた。
  • 1228年、「算盤の書」を改訂したとき、その改訂版をフリードリヒ2世に献呈した。

3つの数学書

  1. 1202年「算盤の書」、1228年同改訂版
  2. 1220年「幾何学演習(Practica Geometrise)」
  3. 「2次方程式の書(Liver Quadratorum)」

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